真夜中まであと2分

アラサーが良いと思った音楽やお笑いについてメモ代わりに書いています。

若林さん、また「ロマンティックあげるよ」の話してるんですか

2021年10月2日放送の「オードリーオールナイトニッポン(annkw)」で、若林さんがまた「ロマンティックあげるよ」の話をしていました。(トークの中身を知りたくてきたという方は脚注にダイジェストをまとめたので御覧ください。*1

 

アニメドラゴンボールのエンディング主題歌であるこの曲が、放送当時から好きなんだという他愛もない話ですが、若林さんは以前にもこの曲のことをラジオで話していました。

 

過去の放送での話を振り返りつつ、このような「何回も同じ昔の話をする」ラジオの、いったいどこにリスナーが惹きつけられているのかの考察などを少し書いてみます。

 

目次

 

 

なぜ若林さんは「ロマンティックあげるよ」が好きなのか

若林さんいわく、この曲は「カラオケで女性に歌ってほしい一位」。

 

去年も若林さんは「ロマンティックあげるよ」の話をしていたので、相当好きな様子がうかがえます。

 

調べてみたところ、以前にこの曲について話していたのは2020年6月6日の放送回のようです。

 

news.careerconnection.jp

 

ドラゴンボールのアニメエンディングは、雨に濡れる窓ガラスを見ながら黄昏れているブルマが印象的。普段ヤンチャしている姿からは想像できないアンニュイな姿です。

 

それを見た小学生当時の若林さんは、「女って奥深いんだ」「俺たちもこうはしていられねーな」と思った、という話。(そして「何だソレ!」とツッコミを入れる相方春日さん。)

 

まあ有り体に言ってしまえば、若林さん人生初の「ギャップ萌え」体験ということで理解できるのかもしれません。

 


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しかし、若林さんのラジオでの発言をよく聴いてみると、単に「ギャップ萌え」に回収できるほど単純な体験でもなかったようです。

 

むしろ、若林さんが語っているのは、「自分が気づけていなかった異性の内面的な奥行きを急に目の当たりにして、『自分もちゃんとしなきゃ』という謎の焦燥感を抱く」という体験のようにも思われます。相手を鏡として、自分の内面へと反省の方向が向いた体験とも表現できるのかもしれません。

 

意地悪く言えば、「行動力はあるけど、粗暴だしきっと深く人生について考えたりしたことはないのだろう」と侮っていた相手が、実は自分より深みのある人間なのかもしれないと気づかされて、突然焦り(あるいは恥)を覚えるような体験。

 

曲の歌詞もちゃんと聴いてみると、「もっとワイルドに、もっとたくましく生きてごらん」と呼びかけるもので、たしかに「お前そんなんでいいのか系」、「自己変革促し系」の内容です。

 

若林さんの話を改めて聴いて、私も「そんな得体のしれない焦燥感を覚えていた頃が自分にもあったな」と思いつつ、今も結局その頃からあまり進歩してないんじゃないのかとも思わされたり。

 

オードリーのラジオはこういう「子供の頃思ってたちゃんとした大人に、なれてるのか?俺は」的なテーマが通底しているような気がしていて、それゆえに他愛のない昔の話でも印象に残ります。

 

 

「何回も同じ昔話をする」おじさんのどこにリスナーは惹かれるのか

若い頃に「ロマンティックあげるよ」を聴いて感じた衝撃と焦燥感を、今も自分の人生にとって大事なものとして抱えこみ、たまにラジオで話してくれる若林さんの感性に私は共感します。

 

とはいえ「ロマンティックあげるよ」がラジオで触れられるのは、私が聴いている限りでも少なくとも二回目。また一般的に、若林さんは割と「何回もラジオで同じ昔話を何回もする」傾向があるように思います。

 

しかし、この「同じ昔話が何回も繰り返されるラジオ」はリスナーの圧倒的支持をうけている。放送10周年イベントで2万人以上の動員があり、武道館をリスナーで埋め尽くすほどに。「おじさんが同じ昔話を何回も繰り返すラジオ」の、どこにそこまでリスナーを惹きつけるポイントがあるのか。

 

答えは、若林さんの昔話へのアプローチの仕方にあるのではないでしょうか。

 

若林さんの話の切り口の多くは、「自分が当時モヤモヤと思っていたことを今の視点から昔話として語り直すことでクリアにする」というものであるように思います。「ロマンティックあげるよ」の話も、ドラゴンボールを見ていた小学生当時になんとなく感じていた衝撃と焦燥感を、ラジオで話すために改めて、リスナーに伝わるように今の自分の言葉で語り直すというものです。

 

これはまた若林さんにとって、「過去の自分と今の自分とのあいだに連続性を見出す」という意味合いを持ち、それゆえに「自分とは何者か」に答える作業の一環にもなっていると想像します。つまり、若林さんが語る過去の思い出は、常に本人にとっては「今の話」なのではないでしょうか。

 

こういう切り口で昔話をできるのは一種の才能というか、自己反省するということに価値や意味を感じるタイプの人間ではないとなかなかできないことのはず。

 

要するに、何回も同じ昔話をしているようで、若林さんがしているのはいつも実は「今の若林さん」の話なのではないでしょうか。それゆえに、昔話が何回も繰り返されることも、若林さんの人間性にそれなりに興味があるリスナーにとっては歓迎されるもの、魅力を感じるものとなっているのでは、というのが私の結論です。

 

(余談:相方の春日さんが「六本木の社長にモンクレールのダウンをもらったりしてた」話に至っては、ラジオで数え切れないほど若林さんによって繰り返されていますが、それにかんしては別の理由があるように思われます。)

 

サカナクションの山口一郎さんも同じこと言ってますよ

サカナクションの曲「アイデンティティ」にこんな歌詞があります。

 

取りこぼした十代の思い出とかを

掘り起こして気づいた

これが純粋な自分らしさと気づいた

サカナクションアイデンティティ

 


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オードリーのラジオで繰り返し行われる昔話の意味は、まさにこれなのではないかというような歌詞。

 

「自分とは何者か」をはっきりさせるため、もはや今では他人事にも思えてしまうような過去の自分の体験に向き合い、改めて語り直すことで理解してあげるということ。過去の若林さんの良き理解者としての今の若林さんと、それをラジオを通して理解しようとするリスナー。

 

若林さんが次に「ロマンティックあげるよ」の話をまたラジオでしてくれるのはいつでしょうか。

 

 

*1:今回の話ダイジェスト:DJ松永さんにもらったレコードプレイヤーで聴くものを、渋谷の中古レコードショップに探しに行った(「digり」にいった)若林さん。行ったはいいものの試聴したりするのには気が引けて、7店舗何も買わずにハシゴした挙げ句、結局買ったのがドラゴンボールED曲の「ロマンティックあげるよ」のシングル盤。家に帰ってさっそくレコードをかけてみると、何やら野太い声で「ロマンティックあげるよ〜」と聞こえてくる。「誰だこのオヤジ!」と思ったが、レコードプレイヤーの回転数を調節していなかったからだった(シングル盤をLPレコード用の回転数で再生すると遅すぎて音が低くなる)というオチ。